おはようございます。
今日の担当は、柳原達宏です。
先日、人格教育プログラムの
NPOのメンバーと
Zoomでゆっくり
お話しする機会がありました。
その中で、現在のSNS等での
いろいろな情報発信の話になり
私たちの周りには情報があふれて
いることを確認しました。
まさに、「情報過多」。
そして、
何が起きているか・いたか
ということよりも
それについて感じたこと、思うこと
それが圧倒的に多い。
しかも匿名だったりすると、
もう好き勝手に言いたい放題。
結果としては情報過多で
その原因は「自己主張過多」
ともいえるでしょう。
人によっては、
自分の発した意見に対して
攻撃するかのような言い方に
傷ついてしまったり、
自信を無くしたりということもある。
誰でも思いを伝えたいし、
受け止めてほしいし、
自分を理解してほしいと思う。
けれども、そのための適切なやり方を
学ばないで
ただ思いに任せて発言していると
どうでしょう。
言葉のやり取りが、
心に橋を架ける代わりに
攻撃によるただのストレス発散に
なっていないか心配です。
歌人で劇作家の故寺山修司氏は
1970年代に『歴史の上のサーカス』で
次のように書いているそうです。
私は、現代人が失いかけているのは
「話しあい」などではなくて、
むしろ「黙りあい」だと思っている。
この言葉が発せられてから、
もうすぐ50年!?
その意味するところを
深く考えてみたいと思います。
Σχόλια